生殺与奪権~ふみをコーチの幸せ哲学~

最近はまっているのが鬼を滅する刃を持っている少年の物語です
ふみをです。

第一話で
主人公はある人にこんなことを言われます。
「生殺与奪の件を他人に握らせるな!!」

生かすも殺すも、与えるも奪うも、思いのままにできるという権利のことです。
これを他人に任せるなと。
主人公は言われ、強くなることを決意しました。

このシーンに僕の胸ジーン
っとなったわけですけど、

最近同じくこういったシーンに胸アツになる人は多いんじゃないかなと感じます。

その背景にあるのが、
自分の人生を自分で決めることに対する真の欲求
とは裏腹に人生の決断権を他人に握られている人が多いから
ではないかと思っています。

 

服を買ってるようで服を買っていないお話

わかりやすい例えばの例をひとつ。

あなたが洋服屋さんに出かけました。
素敵なコートがある。いいなあほしいなあ。
ぱっと値札を確認…

うん。これならいいね!
お買い上げ~!!!

これって、自分のほしい服を買ってるように見えて、
実際には、思いのままに買っているのとは違うということを
お分かりいただけましたか?

これは逆にお店側に交わされている状態です。
この服に興味を持つ人は、
大体この値段くらいなら買う決断をするだろう。
というお店側の”思うままに”買わされている。

つまり値札を見た時点で、
”生殺与奪権”は他人にあるということです。

人生の権利を持てるかどうか

すこしいやらしいお話をしてしまい申し訳ありません

ですがこれが現実だと。
そんないやらしい残酷な話は探せばたくさん転がっていますよね。

自分の”自由の権利”を得るためにはそれだけ覚悟と努力が必要であるということです。

原動力は想い

さて、上記の物語で
どうして主人公は決意し、強くなる努力ができたのでしょうか?

それは妹を助けるという想いからです。
主人公は家族を殺されています。
そして妹も、ある理由で鬼になっています。

その妹を人間に戻し、支えていくために強くならなくてはいけない
だから強くなることを決意しました。

ここに想いのすごさがありますね。
今は小さな力でも、想いが大きな原動力になるってことです。

がんばることに理由は必要??

がんばることに理由は要らないとぼくは思いません。
がんばるためには、理由がないと本当にがんばりきることは
できないと思います。

そのために自分の想いを再確認する時間を作ることは有効です。
あなたがもし”生殺与奪の権”を他人に握られたくないと想うのなら、
自分の原動力になるきっかけから探すことは有効な一手だと
僕は思います!

そんなこんなで、
今回は自分への戒めが強めのお話でした!!

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